Noah ART Clinic武蔵小杉(ノア・アートクリニック)

不妊治療コラム

不妊治療・検査

ヒトの染色体はなんでXの形をしているの?

~染色体の数に関係するトリビア~

「体外受精の着床不全の原因の多くは受精卵の染色体異常、特に本数の異常だといわれています。実際、受精卵の染色体検査(PGTA)を実際に行ってみると、かなりの数の受精卵が染色体の本数が正常の46本を持たず、47本、48本と多かったり、45本、44本と少なかったりすることがわかっているからです。」という文章は、よく目にするかもしれません。

「そういえば46本が正常だった、だから多かったり少なかったりすると、受精卵が育ちにくいんだな」、普通に納得できますよね。

ヒトの染色体の数は46本

では実際にヒトの染色体の写真を見てみましょう(図1)※1

なぜかその染色体の写真には、Xの形の染色体、あるいはVを逆さにしたような形の染色体が並んでいます。確か、染色体は父親と母親からひとつずつもらうから、Xは、片方が父親で片方が母親の、二つの染色体がくっついたもの?でも、たとえば1番の染色体はXが2つ並んでいるから、染色体の数は46x2で92本なの?

こんなことで悩んでいたら、高校の生物の期末試験には絶対受かりませんが、あらためて考えてみると、不思議ですよね。というわけで今回は、染色体の数に関係するお話です。

なんでX?

染色体は、イメージ的にはDNAの糸が巻き付いた棒のようなものです。
ここでは、話を簡単にするために、DNAを父親と母親から一本ずつ受け継いだ細胞があったと考えましょう(図2 a、父方、母方を黄色と黄緑で示してあります)。もし、この細胞が一生分裂しなければ、この形のまま一生を過ごすことになり、染色体は見えないままです。
ところがこの細胞が二つに分裂を始めるとき、まずDNAがコピーされて同じものが二つずつできます(図2 b)。同時に2セットのDNAがそれぞれ糸巻きのように二本の棒にきちんと巻かれ、コピーされた同じDNAが巻き付いた棒同士は真ん中でくっつきます(図2 c)。これが、よく写真に出てくるX型の染色体です。(実際には、bとcの過程は同時に起こっています)。

もう少し詳しく見てみましょう。分裂していない細胞の中ではDNAは糸のまま細胞の核の中に存在していて、この糸があまりに細いので顕微鏡では見えません(図2 a)。この細胞が分裂するときには、将来二つの細胞に分かれた時にDNAが足りるように、細胞はまず、元のDNAのコピーを作って2セットのDNAをあらかじめ作ります(図2 b)。ただ、図でみても長いDNAを、きちんと半分ずつ二つの細胞に分けるのは、難しそうですよね。実際には2本ではなく、ヒトの細胞にはDNAが46本あり、さらに一つの細胞に含まれるヒトDNAの全長は約2mといわれていますから、途中でもつれたり、絡まったりしそうです。ですから、短時間に間違いなく二つに分けることができるよう、「糸巻き」、つまり染色体は必要になるのです(図2 c)。

その後、この染色体はXが割れるようにして二つの細胞に分かれ(図2 d)、二つの細胞に分裂して核膜にDNAが囲まれると、また見えなくなってしまいます(図1 e, aと同じものが二つできて、細胞分裂の完成です)。

というわけであのXの形は、分裂する直前の細胞にしか現れない、「時期限定」、DNA容量2倍という、とてもレアな形なのです。

X型の染色体が重宝される理由

まとまって、二セットができているX型の染色体が重宝される理由は、これが最も「数えやすい」からです。

前述したように分裂期以外の時期のDNAは、ぐちゃぐちゃに絡まった糸玉(実際はそれなりに整理はされているのですが)のように細胞の核の中に入っているので、何本あるのか数えるのは不可能です(図2 a)。ですが糸巻きになった染色体は光学顕微鏡でも数えることが可能で、1800年ころから様々な植物、動物の染色体の本数が数えられるようになりました。

46本であると数えられたのは比較的最近

ところがヒトの染色体の本数が46本だとわかったのは、1956年、今からたった70年前のことです。

染色体が生物の遺伝に大事な役割を果たしていることは、遺伝の分野では1910年頃からわかっており、またいくつかの病気が遺伝や染色体に関係しているであろうことが予想されていたので、健康なヒトの染色体の数を確定しようという努力は何十年も行われていたのですが、なかなかうまくいきませんでした。

その大きな理由は、それまで研究に用いられていた植物や昆虫の細胞に比べてヒトの細胞が小さく、かつ染色体の数が多かったことがあります(表1)。それまで遺伝の研究に用いられた細胞の染色体は、大体20本くらいまででした。というか、遺伝を研究する人たちはできるだけ数を数えやすい、子孫ができるまでに時間がかからない生物を選んで、実験をしていたのです。ですから、そこで用いられた研究手法を人間に応用するのは、そもそもかなり難しかったのです。

Screenshot

技術的な進歩

それでも、遺伝は医学に重要であることはわかっていましたから、たくさんの研究者が染色体の数を決めようと努力し、少しずつ技術も進歩してきました。まず、それまで組織を固定して、薄く切った切片を作り、いわば3次元で見ていた染色体を、プレパラートに乗せた組織をカバーグラスとの間で「押しつぶして」標本を作り、2次元にして見る、という技術革新が起こります。この頃、あるヒト染色体の研究室では、よい「親指」を持っていて、「押しつぶし方」がうまいのがよい研究者、という笑い話もあった様です。

また、今も使っているコルヒチンという薬を使って、細胞の染色体が見える時期で止める、という方法も開発されます。こうすると、ちょうど染色体が見える時期の細胞が渋滞を起こすために、一つの組織の中で染色体が見える細胞が多くなるのです。

そして最後に起こった決定的な技術革新は、小さなヒトの細胞を低張液で膨らませて大きくする、という手法でした(図3 A,B)。これで、染色体が広がる「部屋」、つまり細胞の面積を広くして、染色体同士が重ならないようにすることができます。ところが、これも膨らませすぎるとパンクして、染色体が失われたり、隣の細胞の染色体が重なって、本当の数より多く見えたり、ということが起こりました。またこのころの技術では、23対ある染色体のそれぞれを区別することができず、長さと、棒同士がくっついている位置で「どのグループ」の染色体かを区別することができる程度だったことも、数が数えにくかった原因の一つです。

正しい染色体の数が長い間確定されなかった別の理由として、えらい先生が48本説をとっていたこともあります。それは、精子・卵子など普通の細胞の半分の数の染色体をもつはずと思われていた細胞が24本(実際は23本)の染色体をもつと思われていたことも原因で、半分で24本なら、普通の細胞が持っている染色体の数は48本になるはずですよね。今も昔も、影響力のある先生が言ったことを覆すのは、大変です。

46本であることがわかる

この状況を変えたのは、スウェーデンのLundの研究所にいたTjioとLevan(図4)という2人の研究者でした。

Jo Hin Tjio

Albert Levan

研究者でない皆さんでもここまでのお話で、なんとなく染色体標本を作る技術って、面倒なお料理のレシピみたい、と思われるのではないでしょうか。そのとおり、この頃の染色体研究は、いわば(「神の」親指を含む)「手先」の器用さと、(細胞のパンク寸前までどうやって膨らませるかという)秘伝のレシピが命、という職人の世界だったのです(図5)。遺伝の研究室には、たいていものすごく根気強く、最適な押しつぶし方・染色の仕方・細胞の膨らませ方を効率よく行う、いわば「神の手」を持つ技術者(多くは女性だったようです)がいたのですが、それでもこれまでの数は違う、と信じられるほどくっきりした写真を撮ることはできませんでした。

Levanはこの研究所の研究部門長で、がん細胞の染色体の研究をしており、がん細胞が正常の細胞とどのように違うかを調べるために「正常の細胞」の染色体の数と形を調べるプロジェクトを長い間運営していました。そこに訪問研究員としてやってきた中国系インドネシア人であるTjioが、「神の手」を持っていたのです。著作権の関係から写真を引用できませんが、イメージとしては図5のAとBほどの違いがあったはずです。もし、興味がある方がいれば、コペンハーゲンから海を渡ってすぐのLundには、今でもこの写真をかたどったレプリカの銅板が飾られています。

余談ですが、こういう一芸に超秀でた、「神の手」を持っている人、皆さんの周りにもいませんか?「神の手」と、「画期的な研究を遂行する能力」は必ずしも一人の人間に集中するわけではありませんが、片方ずつを持っている二人が共同で何かを発見したとき、時に争いが起こります。Tjio博士は自分自身が最初から最後まで行った実験結果だから、Levan博士は研究グループとして結果が出たのだからみんなを代表して自分が、とお互いに譲らず、どちらが筆頭著者になるかでかなり争ったようです。Tjio博士はのちにアメリカに渡り、最初の職場をなぜかすぐに辞職し、最後はワシントンのNIH(アメリカ国立衛生研究所)に勤め、画期的ではないが静かな研究生活を送ります。Levan博士はその後もがん染色体異常の研究で、研究リーダーとして様々な成果を出しました。会社でも、研究室でも、こういう話はよくありますね。

歴史に残る研究成果を出した偉大な研究者たちも、私や皆さんと変わらない、普通の生身の人間なのです。

参考文献

※1 外村晶(編)染色体異常-ヒトの染色体異常図譜

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