Noah ART Clinic武蔵小杉(ノア・アートクリニック)

不妊治療コラム

不妊治療・検査

同じ周期に取れた卵子の質は似ているの?~コホート効果~

採卵して、4ABという良好なグレードの胚盤胞を三つ凍結することができました。
この三つを、ひとつずつ3回戻してみましたが、残念ながらいずれも妊娠反応は出ません。
グレードの高い受精卵を3回戻しても着床しなかったので「子宮側の検査も考えようか」と思っていましたが、先生は「同じ周期に取れた卵子は、同じ性質を持っていることが多いので、もう一回採卵したら違う結果になるかもしれません。まず、採卵してみましょう」との意見。

でも、同じ夫婦から取れた卵子と精子からできた受精卵に、性質の差があるのはなぜでしょう? 

 

同じ夫婦でも周期によって受精卵の質が違う

ずっと以前から、育った受精卵の全体的な質(あるいは妊娠する力の総和)が、周期によって違いがあることは知られていました(コホート効果)。
コホートとは「同じ時期にできた、あるいは同じ性質をもった集団」という意味です。

ひとつの例として、精子に問題がないのに取れた卵子がすべて受精しない「全受精不全(total fertilization failure)」という現象があります。
もちろん今の時代であれば、「最初の採卵ですべての卵が受精しなければ、次の周期はまず、顕微授精をする」ということになりますが、1992年に顕微授精が初めて成功する以前は、こういう場合でも再度体外受精で挑戦するしかありませんでした。
ですがその場合、驚くことに70%以上の方は、二回目の体外受精で問題なく受精することがわかっています 。
これは、(もちろん卵子を育てるための注射など様々な工夫をした結果でしょうが)卵子の質は採卵周期によって同じ患者さんでも異なることを示していると考えられます。

コホート効果で受精卵は様々な違いを持つ

それ以外にも、
1)    取れた卵子の受精する率が高ければ、発生した受精卵の着床率が高い 
2)    顕微授精で、前核が3個できる異常授精の率が高いと、発生した受精卵の着床率は低い 
3)    凍結ができた周期に戻した新鮮胚は、凍結できなかった周期に戻した新鮮胚より(同じ胚のグレードでも)着床しやすい 
などのデータもあります。

もちろんこれらのデータは先ほどの受精のデータと違い、たくさんの患者さんの周期を集めてくらべたらこうなった、つまり「異なる患者さん」でのデータなので、「同じご夫婦」でどうかについてははっきりしていません。
それでも、周期によって受精率や、異常受精の率は同じ患者さんでも大きく違うことがあるので、やはり周期によって卵子の質が全体的に違っていることはあるかもしれない、と疑わせるデータです。

強いサッカーチームで目立たない選手は、弱いサッカーチームで上手に見える選手より実はうまかったりする、ということでしょうか。

 

反復着床不全の診断は時間をかけ慎重に行うべき

実際、最初の周期には受精率もあまりよくなくて、4BBとかまあまあのグレードの受精卵が二つ取れて着床せず、次の周期に同じくらいのグレードの受精卵が二つ取れた。
年齢のこともあって二つ胚移植をしたところ、双子になってしまった、という苦い経験は、多くの不妊治療医が持っていると思います。(正直、私も何回かあります)

そのため、反復着床不全の診断を下す際にも、1回の採卵の受精卵だけでその後の治療方針を決めつけるのは、慎重にしなければなりません。

体外受精が保険になる前は、「採卵1回」について助成金が出ていたのですが、現在は「移植が何回まで保険」となっています。
たとえば1回の採卵で凍結できる卵子が6個できてしまうと、1個ずつ戻すとそれだけで保険の移植階数を使い切ってしまいます。

もし、コホート効果があるとすれば、できれば2回くらいは採卵して妊娠を図りたいところなので、本当に出産に至りやすい受精卵を必要最小限、現在は選んでいるクリニックが多いと思います。


こぼれ話〜コホートとガイウス・マリウス

さて、コホート(cohort)という言葉は、もともと古代ローマの軍隊編成に由来し、「百人隊」と呼ばれる部隊が6個集まったものを「コホルス」と呼んだことがその起こりです 。
それではコホルスは「100人×6=600人」かというとそうではなく、ややこしいことに「80人×6=480人」からなる部隊を指すそうです。

この「コホルス」という軍隊の単位をつくったのは、ガイウス・マリウスという古代ローマの軍人です 。
彼は、それまで貴族と平民が身分に従って別々の部隊を構成していたのをあらため、身分に関わりなく部隊を構成し、さらにそれまで徴兵で兵士を集めていたのをきちんと給与や年金をだして兵士を募るように改めました。

  

ガイウス・マリウス – Wikipedia

ガイウス・マリウス(Gaius Marius, 紀元前109年/紀元前108年 – 紀元前82年)

この改革で、お互いの協力が今ひとつだったそれまでの部隊編成の弊害もなくなったのですが、このとき彼が「百人隊」の編成を80人構成とし、司令官と副司令官各1名(合計2名)を除く78人が横6人、縦13人の縦列をつくって敵に向かうようにしたそうです。

それでも「百人隊」の隊長はとても名誉な称号だったため、80人隊、と呼ばれることはありませんでした。


これは40人なのでこの倍の部隊が「百人隊」です。

この軍隊の改革はとてもうまくいったので、それまで海外遠征で苦戦していたローマ軍は急に強くなりました。
その功績もあって、マリウスは根っからの軍人であり、政治家ではなかったのに、ローマの指導者(執政官、首相のようなものでしょうか)に選ばれます。
ところが戦争が一段落して政治の世界が復活すると、マリウスはややこしい政治家の権力闘争に巻き込まれて最後はローマを追われてしまいます。

このマリウスの妻は、若き日のジュリアス・シーザーのおばさんでした。
そのためシーザーもマリウス一味として殺されそうになりますが、知人・友人に助けを借りて、何とか許してもらったようです。


後に反マリウス派が力を失ったとき、シーザーは「マリウスの甥だ」ということをかなりアピールして、政界に売り出しました。
さらにシーザーは、義理のおじさんがつくり上げた志願兵の制度をうまく使って次々と外敵・政敵との戦争に勝利し、兵士たちに十分な給料と年金を与えて選挙の票もえることで、最終的には実質ローマ最初の皇帝となるのは、ご存じの通りです。

こう考えると、480人編成のコホルスがシーザーをつくった、と言えるかもしれません。

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