子宮の中に隠れた炎症があると、着床しにくいって本当? ~慢性子宮内膜炎(CE)とCD138~
子宮に小さなポリープがあって、「念のため着床に悪さをしないように、子宮鏡でとっておきましょう」と先生から。幸い手術もそんなにつらくなく、すぐ終わったのだけれど、その後外来で「手術の検体と一緒にとった内膜検査で、CD138という炎症の細胞がでていました。慢性子宮内膜炎という、病気かもしれません」との説明。え?全く症状がないのに、炎症を起こしていることがあるの?悪い病気なのかな?
慢性子宮内膜炎(CE)とは?
慢性子宮内膜炎(chronic endometritis、以下CE)は、子宮内膜の持続的な炎症です。お腹が痛くなったり、熱が出たりする急性型の子宮内膜炎とちがって、症状がほとんどないことも多く、何かの検査をして初めて気がつかれることが多いようです。CEは、子宮内膜の一部をとって、その中に含まれる炎症を起こすと現れる細胞の数で診断されるのが普通です。
CD138と形質細胞
炎症があるかを診断するための細胞としては、CD138という抗原を細胞膜の上に持っている「形質細胞」がよく使われます。形質細胞は、細菌・ウイルスを撃退する抗体を作り出し、感染・疾患の発生を阻止するリンパ球です。リンパ球は骨髄で作られ、T細胞、B細胞、NK細胞に分化しますが、このうちB細胞が細菌を攻撃する「抗体」を作る細胞で、未熟なB細胞が骨髄から血流を経てリンパ節に行き、ここで様々な(細菌・ウイルスなどの)「抗原」の形を覚えて、最終的に抗体を多量に作り出す「形質細胞」になるのです(図1)。CD138という抗原は、形質細胞の上にしかなく、それより未熟なB細胞にも、他のT細胞やNK細胞の系列の細胞にもありませんから、この抗体を持っている細胞は形質細胞である、と判断できます。
図1

着床に炎症は影響する?
受精卵が、本来(半分、遺伝的には)他人であるお母さんの子宮内膜に着床するのは実はとても不思議なことで、よほど精巧なメカニズムがあって拒絶されることが防がれているはずです。そんなガラス細工のような「着床」という過程で、もし子宮にちょっとでも炎症があったら、たちまちバランスが崩れて着床しにくくなるのではないか、あるいは着床した後、流産が多くなるのでは、と誰でも考えると思います(図2)。
そのため子宮の慢性炎症であるCEがあると、体外受精の時に着床率が低くなるのではないか、という心配はずっとありました。さらに、なかなか妊娠しない場合に炎症をおさえれば着床率が上がるのではないか、という考えも、古くからあったのです。
図2

これまでの報告
しかし、現在のところ子宮内膜炎があると着床しにくいという証拠は、はっきりしません。たとえば、2022年の報告※1では、内膜組織の中にあるCD138細胞の数によって、着床率や生児獲得率に差があるかを、染色体検査をして正常な胚のみ、それも一個を戻すことで調べています。個々の胚について染色体の検査をしているので、例えば形は良いけれど染色体に異常があって着床できない胚は戻しませんから、内膜側の胚を着床させる力のみをほぼ正確に計っています。さらにこの報告では、顕微鏡で見た10視野の中のCD138陽性細胞の数を1個まで、5個まで、10個までと区切って妊娠率・生児獲得率を比べていますが、CD138陽性細胞の数が多いからといって、妊娠率や生児獲得率が低いことはないようです。また、別の報告ですが子宮内膜炎と診断された場合に抗生剤を投与しても、着床率は増加しないと言われています※2。
そのため、現時点では子宮内膜のCD138検査は自費検査であり、生殖補助医療に伴う先進医療としても認められていません。
他の子宮疾患との合併
ただ、慢性子宮内膜炎は子宮内膜症※3や、子宮内膜ポリープの人には合併することが多いことは知られています。これらが合併していたときに、合併症の治療をしたり、今後新しい炎症を鎮める薬剤や新しい種類の抗生剤が出てきたときに、治療によって着床率や生児獲得率が高くなる可能性はないわけではないと思います。
結論として、CD138細胞が基準以上内膜にいた場合に、抗生剤が害になるというデータはありませんが、治療が着床率を上げるという確実な証拠もありません。形が問題ない、できれば染色体検査をして正常の胚をいくつか戻しても着床しない、あるいは流産するときに、効果はないかもしれないけれども、ということを理解して行う自費の検査・治療であると考えられます。
エドワード・ジェンナーと種痘
さて、生殖医学と免疫学はこのように切っても切れない関係にありますが、「免疫学の父」といわれるのが、種痘を広めたエドワード・ジェンナー(Edward Jenner、1749 –1823)です。
(Edward Jenner/1749年5月17日-1823年1月26日)
天然痘は18世紀までは恐ろしい病気で、生まれた子どもの3人から5人に一人はこの病気で命を落としたとも言われています。天然痘に対するワクチンの概念はジェンナー以前からあり、この病気にかかった人の「膿」を接種して天然痘にかかりにくくすることもオリエントではおこなわれていました※4。トルコ大使の奥方がこの知識をイギリスに持ち帰って広めたため、一時イギリス上流社会でこの「人痘接種」が広まったことがあります。ところがこの方法だと、(当たり前のことですが)一定の確率で病気そのものがうつってしまい、せっかく接種をしたのにその天然痘にかかって命を落とす人もでてしまいました。またこのころ、ウシの天然痘、「牛痘」が人間にも感染し、乳搾りなどで牛と接する人が自然に牛痘にかかると、その後天然痘にかからないことがわかっていたので、牛痘にかかったウシの膿を接種する方法が1768年にはすでに試されていました※5。
ジェンナーは、天然痘患者の膿や、ウシの膿ではなく、牛痘にかかった「患者」の膿を接種することで、ヒトの天然痘の予防ができる、ということを発見したのです。ちなみに、接種されて名前が残っているのは彼の小作人の息子であったJames Phippsという8歳の少年ですが、牛痘にかかって膿を提供したのはSarah Nelmesという乳搾りの婦人であり、牛痘にかかった雌牛はBlossomという名だったそうで、この雌牛の皮がいまでもロンドンのトゥーティングにあるセントジョージ医科大学の図書館の壁に掛けられているそうです。
ジェンナーはこの方法を特許にしたりせず、公開します。そのためこの安全な方法はイギリスばかりでなく瞬く間にヨーロッパ中に拡がり、そのころイギリスと戦争をしていたフランスでも数え切れない命をすくうことになります。
配下の兵士がほとんどジェンナーの方法で種痘をうけていたナポレオン1世は、敵国人であるジェンナーに名誉勲章を贈り、さらに彼の功績と引き換えにジェンナーの友人である捕虜を二人、これの要請に従って釈放したといいます。二人の捕虜の釈放の署名の時に、署名する前にご一考を、という王妃ジョセフィーヌに対してナポレオンが“Ah ! Jenner. On ne peut rien refuser à cet homme”(ああ、ジェンナー。この男には何も拒否できないんだ。)といった、というのは作り話かもしれませんが、二人のジェンナーの友人は確かに釈放されています※6。
血なまぐさい戦争の中の、ちょっとほっとするエピソードですね。
参考文献
※1 Herlihy NS, et al. The role of endometrial staining for CD138 as a marker of chronic endometritis in predicting live birth. J Assist Reprod Genet. 2022;39(2):473-479. PMID:35064433
※2 Xu Y, et al. The effect of antibiotic treatment on pregnancy outcomes in patients with mild chronic endometritis undergoing in vitro fertilization. Fertil Steril. 2025;124(4):711-719. PMID: 40467027.
※3 Kalaitzopoulos DR, et al. Chronic Endometritis and Endometriosis: Two Sides of
the Same Coin? Reprod Sci. 2025;32(2):474-487. PMID: 39821822.
※4 Gordon Roy Cameron. Edward Jenner, F. R .S., (1749 – 1823). The Royal Society Journal of the History of Science. 01 December 1949
https://royalsocietypublishing.org/doi/epdf/10.1098/rsnr.1949.0003
※5 John Fewster; Wikipedia (Eng)
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Fewster
※6 Gavin Rylands De Beer. The relations between fellows of the Royal Society and French men of science when France and Britain were at war. The Royal Society Journal of the History of Science. 01 May 1952
https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rsnr.1952.0016
