「人工」授精やその時行う洗浄って、どんなことをしているの? ~精子の長い旅とその改善策~
タイミング法を何回か繰り返しても妊娠しないと、先生から「次から人工授精を考えましょう」のお話が。
よく聞く治療ですが、いよいよ我が家の治療も「人工」的な治療の段階に来たか、とちょっとブルーになります。
さらに先生は「ご主人の精子をお預かりして、2時間ほどかけて洗浄します。これをすることで、運動率が良くなりますよ」と。
あなたは「え、2時間かけてどんなことをしてるんだろう?」
「洗浄って、何か特殊な洗剤を使ってるの?」
「精子って、なんで洗うと元気になるんだろう?」
次々にはてなマークがでてきます。
人工授精ってどんな仕組み?
人工授精は、何かの原因で膣から卵子が待っている卵管まで精子が行きにくいときに、ちょっと先まで精子を入れてあげて、卵子のところまで行きやすくする治療です(図1上段)。
図1.人工授精の原理
精子の動きがゆっくりだったり、精子が少なかったりする、精子(男性)側に原因がある不妊症に対して使われるのはもちろんですが、女性側の原因でも使われることがあります。
精子は卵子まで遠く長い旅をします
もともと、精子にとって卵子のいるところまではかなり距離があります。
精子の頭部が人間の身長と同じだとすると、卵管までの約10cmという距離は、当院のある武蔵小杉からなら多摩川を渡り、銀座を通ってさらに東、隅田川を渡った先のスカイツリーまで位の距離になります(図1下段)。
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なぜこれだけ遠い距離を旅行できるかというと、子宮や卵管が動いて(蠕動)、精子が卵子のところに行くために背中を押してくれていると考えられています。
ですから女性側の原因で子宮や卵管の動きが悪くなると、後押しをしてくれなくなった精子は卵子まで行き着くことができなくなるのです。
そこで、あまり泳ぐのが得意でない精子や、後押しをする力の少し弱い子宮・卵管をもっているご夫婦のために、人工授精は精子を銀座あたりまでタクシーで連れて行ってくれるわけです。
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これ以外に、子宮頸管を精子が通りにくい(こうなる原因のひとつとして精子に対する抗体を女性が持っている場合があります)とき、あるいはsexそのものが難しい場合(インサートができない、あるいはインサートしても膣内で射精ができない)もあります。
この場合の人工授精は、氾濫した多摩川をヘリコプターで超えて、銀座まで連れて行ってくれるイメージかもしれません。
洗浄の方法と必要性について
さて、人工授精をするときに精子を「洗浄」します。
これはもちろん、精子の表面をゴシゴシ洗っているわけではありません。
実は試験管にいれた培養液の上に精液を乗せて、試験管ごと遠心(回転)させているだけなのです(図2)。
図2.精液洗浄の原理
遠心力がかかった試験管の中で、それまでバラバラの方向を向いて泳いでいた精子は、重い頭の部分が下に、軽い尻尾の部分が上になるように向きがそろいます(図2b)。
ちょうど、徒競走でみんながスタートラインに着いたような状態です。
遠心力をかけ続けると精子は自分の力で試験管の底の方へ泳ぎ始めますが、このとき泳ぐ速度が速い精子(足の速い精子)は短時間で底まで到達してゴール、足の遅い精子は速い精子が底まで泳ぎ着いたときにも、まだ試験管の中程までしか来ていないかもしれません(図2c)。
徒競走の苦手だった人は遅い精子がかわいそうになるかもしれませんが、この操作は遅い精子を除くのが目的ではなく、精子に含まれている子宮に有害な粒子(図2では黄色の粒子です)、たとえば細菌や白血球などを除くことが目的です。
時間を区切って、ある程度速い精子が底に集まって、有害な粒子はまだ下がってこない状態で遠心を止め、それより上の部分を捨ててしまうことで有害な粒子を取り除き、動いている精子だけを集めることができます。
加えて精液の中には、プロスタグランジンという子宮を収縮させるホルモンが入っています。
これを除かないでそのまま精液を子宮に入れると、敏感な女性ではおなかが痛くなってしまう場合もあります。
洗浄操作は、このプロスタグランジンも除くことができます。
人工授精で産まれた赤ちゃんへの影響ってあるの?
それでは、人工授精で産まれた赤ちゃんは人工授精の影響はあるのでしょうか?
前回の精子凍結のところでもお話しましたが、精子は自分の中の遺伝子を大切に守る機能が強いため、少々のことでは遺伝子に影響は出ません。
前回の記事:精子の凍結保存〜凍結しても大丈夫?〜
実際、人工授精という方法は人の不妊症だけでなく、ウシ・ウマ・ヒツジといった畜産動物でも行われているのですが、人を含めてどの動物でも人工授精のあと生まれてくる子どもに異常が多くなることはありません。
子孫への影響という面では、安全性が確立した方法といえるでしょう。
人工授精はリスクがゼロではありません
ただ、人工授精にもリスクはあります。
子宮に入れる精液は、洗浄することで細菌やプロスタグランジンはほぼ100%なくなっているのですが、これを細い柔らかいチューブで入れるときに、膣の中の細菌が子宮に少しだけ混入してしまい、それが原因で子宮の中や、卵管などに炎症が起こることがまれにですが、あります。
健康な女性に人工授精を行っても抵抗力があるのでほとんど炎症を起こすことはありませんが、子宮筋腫や子宮内膜症、あるいはもともと腹膜炎を起こしたことがあるなど、子宮や卵管に弱点がある方では炎症を起こす危険性は高くなります。
ですから、このような病気がある場合は、人工授精のリスクがあることを考えに入れて、治療を始めるかどうかを検討することになります。
また、精子は男性の体から出てあまり時間がたつと運動が弱くなってしまうので、精子を採取してから洗浄を行うまでの時間は短い方がベターです。
男性が採取してから2時間以内が理想ですが、これにも個人差があって5-6時間経過していても大丈夫な精子も多いようです。
最後に〜「人工授精」は「人工的」ではありません
さて人工授精は、「Artificial Insemination」という英語の和訳です。
Artificialには「人工的な」と言う意味もありますが、ここでは「人為的な」あるいは、「医師が行う」位の意味で使われています。
元々この方法は性行為をすることや、膣内で射精をすることが難しいカップルのために、医師が「人為的に」その手助けをする目的で始められたので、そういう名前が付けられたのでしょう。
「人工」という日本語とはうらはらに、この方法では体外受精のように「卵子や受精卵を女性の身体から外に取り出して培養する」ことはありませんので、限りなく自然の妊娠に近い方法なのです。
ちなみに、遠心したときに試験管の底にぶつかって精子が傷んでは大変です。
そこで、培養液には精子が進む速度をゆっくりにするコロイドシリカゲルが入っていますが、この成分は人体には安全で昔から使われており、飲料水や、化粧品(ファンデーションや化粧水)にもはいっています。